乾いた秋の風が枯れ草たちを揺らしている。
この北の大地では、秋はずっと早く来る。夏がその陽射しのように鋭い煌めきを儚く残したあと、育った青草たちは秋の風に金色に乾いていくのだ。
空は高く、広い。
遮るものなくある。
少女は、その胸近くまで伸びた草の中にぽつり立って。飽きず空を見上げていた。
「…ねぇ、あきつ。トンボとんでる」
ぶかぶかの衣服。足は裸足。
小さな体は、細いが伸びやかで。伸びた髪からのぞく透明度の高い、苺色の瞳が大きく見開かれ空の青を映している。
「とんぼ、どこにいくんだろ」
「さぁな」
いつの間にだろう、少女の傍らにいた背の高い影は。ふと草にうもれた娘を抱き上げた。肩に乗せるように、持ち上げる。空が近くなって、娘はぽかんと口を開けた。
「とんぼ、おいかけたらとおくにいける?」
欲しいと手を伸ばす指先を、トンボが掠めてゆく。
抱き上げられてもちっとも大人しくない娘を、彼は珍しく抱きあげたままで。
「さぁな。この島は狭い」
答えて、同じく枯れ地野原と空を見る。
乾いた風が草を揺らし、ごぅと大きく鳴った。娘は恐ろしくもないのか、足をパタリと揺らす。猫がしっぽを動かすような仕草だった。
「あきつしま、と昔はいったのだ」
ふと、男はポツリと言った。
「この国を、あきつしまと、いったのだ」
昔のこの国は、蜻蛉の渡る国だった。
秋には黄金の稲穂が揺れ、多くのトンボが空を舞う。
ふぅん、と娘は興味なさげだったが、ふと良いことを思いついたように、空を見上げるのをやめて、養い親を見る。
「あきつの、しま?」
言葉遊びのように思いついただけで、深い意味はなかっただろう。媚が少しでも含まれていたら、羅刹は機嫌を損ねて娘を傷つけたかもしれない。
だが、いつでもこの娘は深く物事を考えない。それゆえに、多く許容されている。
「…あきつ、とは蜻蛉のことだ。うい」
答えを教えると、再びふぅん?と娘は答える。
「じゃあ『あきつ』はとんぼなの?」
「さぁな」
風が吹き、娘の髪を揺らす。羅刹は遠くを見ている。
このような表情をする時、この男はとてもとても老いて見えるのだ。まだ若者のような外見であるくせに、何故か枯れ枝にも似た老人のように。
「……あきつ、とんぼ、つかまえて」
肩の上、飽きたのか娘が騒ぎ出す。それを地面に置いて、羅刹は乱暴に髪を撫でた。
「とんぼは空においておけ。羽あるものだ、どこへとも飛んで行かせろ」
背を向ける。歩いていくその背を、小さな歩調でちょこちょこと娘が追いかけた。
*ういの養い親の名前公開。
「あきつ」といいます。かつて南の方で強大な力を誇った古い羅刹でした。
既に生きることに飽きて、かつての支配地から逃れるように北に住んでいます。若い男の外見をしていますが、既に魂が老化しているため時折老人のようにも見えます。
ういを育てたのは気まぐれです。
滅び逝く自分の最後の灯火に。生まれたての羅刹の子(を宿す人間の娘)を育て始めました。羽衣は散々なことを言いますが、彼なりに彼女を大切に育てたようです。
そして姿を消す最後の夜に羅刹と人の双子のような娘に、一つの「至上の命題」を下します。
羅刹の娘はそれを胸に。
人の娘はそれを捨てて。
そんな彼女らの決着はまだ付いていません。
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